不登校3
禁断の声掛けから1週間
何も喋らない、逃げられる、目は合わない状態でした
私はとにかく一人で喋りまくり長男を肯定していました
長男がlineやTwitterのアカウントを全部消してしまってるのに
気づきました
数人の友人が手を差し伸べて気遣ってくれてました
ありがたい
ある日なかなか連絡のつかない長男を不審に思った友人が
家に押しかけて来てくれました
そのまま2人で外出しました
突然不登校になって3週間目のことでした
そして私は転学という道を調べ始めました
早いほうがいいと感覚的に思いました
長男が通っている高校は有名な高校
日本でも知ってる人が多いだろう
さて先生はどんな対応かというと…
担任は最悪でした
いじめがなかったことの証拠集めしかしませんでした
私はこの先生の対応に泣けてきました
部活の監督は凄かったです 感謝でいっぱいになりました
この監督の言葉を長男に伝えたら『監督はそうゆう人だ』と
会話が続きました 部活辞めたくなかったんだなぁと思いました
本当は何とかして卒業してほしかった高校でしたが
この子の笑顔を取り戻せるならなんだってしたいと思い
不登校から1か月半長男に転学の道があることを話しました
不登校2
幸い長男の不登校は6月から8月で終わり転学という道をとりました
不登校でずっと悩まれてる家族の方たちからみると
不登校なんだかわがままなんだかっという感じの期間ですが…
紛れもなく鬱症状がみえてました
わたしはとにかく君のやってることは悪くないんだよと
言い続けました 他にも道はあるんだからねと
なかなか思春期の男の子には届かなかったです
正直 学校いきなさい!と怒りたかった
後から聞けば不登校になったからすべて終わったと思ってた
ようです
部活動をしっかりこなしていたので体はしっかりしてました
なので3度のご飯はしっかり用意して食べさせました
部屋に持ち込んでしまう時もありましたし
私が出かけると食べるという感じの時もありました
おなかがすくんだね
体は運動部なんですよ
とにかくよく寝かせました
2週間ほどたったらこそこそ外出しだしました
そのころはまだしゃべることは無かったですが 聞いてみました
学校へ行かないのかと
その一言で振り出しに戻り部屋に閉じこもってしまいました
正直わたしもこの先が見えず独りで泣いていました
あるあるな状況です
禁断の声掛けをしてしまったと後悔してたけど
きっと絶対にわたしは学校へ戻らないのかと聞いた
その時の私は少し休んだら学校へ行きだすだろうと期待し
まさか学校を辞めるわけないとかすかにおおいに
思っていたのであるから
だが
そうはいかなかったのである
不登校
昔は登校拒否と言っていたような…
4年前突然学校に行かなくなり部屋から出てこなくなった長男
高校2年生の5月でした
毎日ハードな部活と友人関係で生活が乱れ切っていたので
日々わたしと言い合いになってました
高校生男子のわりにあまり暴言を吐かない長男
わたしは我慢してることや疲れてることに気が付きませんでした
友人関係や思うように成績がキープできないのも理由のようでしたが
わたしはわたしのせいだとしか思えませんでした
今も…
彼の思考は停止しました
死んだ魚の目のようとはよく言ったものです
まさにその通り
わたしは一人の人間を潰してしまった
小さい頃から彼には
みんなやってるのになんでウチはダメなのかと言われてました
みんなってクラス全員かと聞くと3人くらいと答える
自分がやりたい欲しいを誰かがやっていると『みんな』と言う
子どものやり方ですね
彼にはちょっと早いと思うことをせがまれてました
どんな気持ちだったんだろう
欲もあっただろうけど周りに着いて行こうと必死だったんだろうか
誰もがみんな欲を満たされて成長するわけではないが
劣等感に溢れていたんじゃないかと思っています
お調子者でドジでわたしは心配でした
その心配が的中したのです
的中…? そうならないように念頭に置いて育てていたら
無意識に誘発していたかのようでもある
わたしが彼を信じて自由にしていればこうならなかった
これは確信している
そしてそれから不登校というワードと戦うことになるのです